こんにちは。スターウォーズ大好き人間のkurokoです。
ついにスターウォーズ・サーガの完結編であるスカイウォーカーの夜明けが公開されました。
ネットでは、その評判について様々な意見も出ていますね。
結論としては、めちゃくちゃにされたスターウォーズの話を下手にまとめてきた。と言う意見が多いです。
第1作の「フォースの覚醒」で用意された新たな世代の話と様々な謎。未来への期待。
第2作の「最後のジェダイ」はとにかくサプライズの嵐、観客を裏切ることで心を揺さぶった。
そして第3作の「スカイウォーカーの夜明け」では、観客を裏切ることなく心を揺さぶった。
ネット上では、第2作の酷評が多いですが、個人的には、第2作の大きな変動があったからこそ、第3作での安心がより強く感じられたと思っています。
また、改めて第3作(Ep.9)を鑑賞してみて感じたのは、スターウォーズは、今の社会と重ねてみたときに、我々に訴えかけてくる事があるという事です。これはアーティストが世の中に新たな価値観や今までに無いものの見方を提示してくるものと近いと思います。
このブログでは、この点についても考察してみたいと思います。
この記事では、スターウォーズ Ep9 スカイウォーカーの夜明けについて以下の内容をお届けします。
- 評判と口コミ情報
- ネタバレのあらすじと特に注目するストーリー展開と考察
- スターウォーズがアートであるという意味合い
興味ある方は、キット楽しめると思います。
スターウォーズ スカイウォーカーの夜明けのネットでの評判・口コミ
まずは、スターウォーズの口コミです。
前作Ep.8とは打って変わって、ポジティプな意見が多いですね。
総じて良い意見が多いのは、
Ep.8があまりにも物議を醸し出したことによる反動も大きいのかなと推察します。
(ネタバレ注意)気になるストーリー
ここからはネタバレ注意です!
ストーリー内容と、新たにわかった衝撃の事実について、掘り下げて行きます。
ストーリーのアウトライン
- 予告編で出ているからか、最初から実は今までの話はパルパティーンが糸を引いていたことになっています。
(ルークが倒したパルパティーンはなんだったのかというツッコミを入れたくなるほど生きている。) - カイロ・レンは本当の最高指導者になるべく、パルパティーンに会える場所を探す。
パルパティーンはファイナル・オーダーと呼ばれる戦力を用意。総攻撃を仕掛ける準備を行う。 - レイもジェダイとして修行を積み力を付けている。
ファイナル・オーダーの動きを察知し、その場所を目指す。 - レジスタンスは、ファイナル・オーダーへの地図を探し、カイロ・レンはその動きを阻止する
- しかし、そのジャーニーの途中でレイの出生の秘密、「パルパティーンの孫である事」が明らかになる。
- カイロ・レンとレイの二人の気持ちも揺さぶられる
- ついにレジスタンスはファイナル・オーダーの場所を見つけ、総攻撃を仕掛ける。
- フィンも元ストーム・トルーパーの仲間を見つけ、ジェダイ意外の人間でもダークサイドからライトサイドに移動する事があるという事実が描かれる
- レイはパルパティーンとの最終対決。しかし、パルパティーンはレイに自身を倒す事で、新たな皇帝となる事を求める
- そこには乗らずに、カイロ・レンがレイを助け、最終的に再度パルパティーンを葬る
- カイロ・レンは戦いの結果、命を落とす。
- レイは、スカイウォーカーの故郷ジャクーに戻り、ライトセーバーをその地に封印。そして自らを「スカイウォーカー」と名乗る
この物語が重要なのは、やっぱりライトサイドとダークサイドの戦いとバランス。それが明確に戻ってきたという事です。
レイがパルパティーンの孫だったという事実
この事実は、観客としては待ちに待ったニュースでしょう。
そうそう、だから強く、だから主人公になるのです。
スターウォーズのテーマでもある、光と闇のバランスにとってもこの事実は重要です。
カイロ・レンが、ジェダイの象徴するスカイウォーカーの血筋に対して、
レイが、ダークサイドの象徴パルパティーンの血筋だったという点。
それぞれが、あべこべになって戦っていることに、何かしっくりくるものがあります。
カイロ・レンがライトサイドに戻るという葛藤があれば、
レイがダークサイドに落ちるという葛藤も明確に表現されていました。
そして、パルパティーンの狙いは、最終的には孫であるレイが皇帝の後をつぐということ。
今までのスターウォーズを知っていれば、「そうだよね!」という安心の展開です。
しかし、(そして期待通りに)皇帝の思い通りには行かないわけです。
カイロ・レンが死ぬ事でスカイウォーカーの血筋は途絶える
前作でルークが死に、今回の作品ではレイアが死に、そしてカイロ・レンも死にます。
レイはスカイウォーカーの血筋ではない事が証明されるので、スカイウォーカーの夜明けという題名とは逆に、スカイウォーカーの血筋は途絶えることになります。
最後の展開の中で、パルパティーンの血筋のレイとスカイウォーカーの血筋のベン・ソロ(カイロ・レン)が、くっついて新たな展開になるのかと思わせる描写が出てきます。
しかし、期待とは反して、カイロ・レンはそのまま死んでしまいます。
これは、スカイウォーカーファンとしては、映画が始まる前から途絶えるとわかっていたことではあるのですが、非常に残念ではありました。
しかし、
レイが「スカイウォーカー」と名乗る意味
最後の最後に、見知らぬひとに名前を聞かれたレイが、自分は「レイ・スカイウォーカーです」と名乗る場面が描かれています。
この意味は映画では明らかにされません。
血筋としてではなく、思想として、スカイウォーカーの思いを継ぐもの。として自分を位置付けたのではないかなと個人的には思います。
ここが、題名としてのスカイウォーカーの夜明けが意味しているところなのかも知れません。
また、どこかでこの物語が繋がっていく事を期待しています。
次の章では、このスターウォーズの話を踏まえて、スターウォーズがただのエンタメ映画ではなく、今の世の中に問いかけるアート作品であるという事を説明したいと思います。
スターウォーズがアートだという理由
スターウォーズは、様々な物議をもたらしました。
- 悪のリーダーが実は自分の親だったという事実
- 欲望や怒りをコントロールできず善から悪に落ちていく様
- AIやロボティクス、そしてクローンといったテクノロジーの成長
- 光と闇のバランス
その時代に合わせ、世の中に問いかけをしていくコンテンツがスターウォーズであったと思っています。
- 米国とソ連の冷戦化における善と悪をわかりやすく描いたのが70年代から80年代初頭のスターウォーズでした。
- 続く3分作は、2000年代のIT革命の先に待ち受けるAIやロボティクスがもたらす戦争などの世界への警告をした作品でもありました。
そして、今回の作品は何を描いたのか。
私は、光と闇のバランスを今の世の中に重ね合わせて考えてみよ。という問いかけなのではないかと感じました。
どういう事か?
光と闇のバランス
光が強くなれば闇もまた深くなる。
それは、光が無くなれば、闇も無くなる。という事を示唆しています。
ジェダイ自体を終わらせるということでしか、ダークサイドを無くせない。というメッセージに込められているように思いました。
また、光と闇の両面性、表裏一体性を強く感じます。
- ライトサイドからダークサイドに落ちたカイロ・レン
しかしダースベイダーのようにダークサイドには染まりきらずに悩み続けています。 - ダークサイドの象徴のパルパティーンの孫のレイ
ジェダイとして成長するが、パルパティーンの血筋の影に恐れ、ダークサイドに落ちる可能性が描写されます。 - さらには、フィン。ストーム・トルーパーだったところからライトサイドに移る。
フォースを操る人だけでなく、一般の人にも拡張され、より自分に近い存在でもこのせめぎ合いを意識させます。
光と闇、どちらが良い悪いでも無いという解釈
さらに拡大解釈すると、ライトサイドとダークサイドは、実は善・悪と単純に割り切れるものではなく、それぞれの立ち位置で見たときには、その中で生きていく生き物として、個人としては精一杯生きる場所を探している活動をしているだけのようにも思えてきます。
ダークサイドのファースト・オーダーは星を壊したり、民間人も殺すような描写がありますが、ライトサイドのレジスタンスも実はやっていることは、攻撃して人を殺していることに他なりません。
お互いに、自分が生きる場所を精一杯防御しているだけという解釈もできるのではないでしょうか。
そう考えると、今の国家間の対立、民族の対立、宗教の対立は、それぞれの立場に立ってみれば、ただ家族や仲間と生きる場所を確保するために活動しているだけ。その結果立場が変われば相手が悪に見えるという両面性を持っているだけなのではないか。光あるところ闇ができてしまう。そういう関係、構造にある。という問いをスターウォーズという作品を通して世に投げかけているように感じました。
これは、まさに、世の中に価値観として問いを投げかけるアートとしての機能をスターウォーズが果たしているのではないかと思います。
ちなみに、こちらの本もおすすめです。
今回の記事は以上です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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